面白建築足場

インドのとび職がすごいwwwwwwww
あー、高所恐怖症は厳禁ですな。
塔についてる足場は、あれで完成系でも問題ないわ。よく出来てる。
日本でもちょっと前まではこんな感じだったし。竹はタダみたいなもんだろうなぁ。わざわざプレハブ化する意味もなかったしね。
現在の日本では、単管パイプを組み合わせてますが、あれも大概怖い作業です。現場見習いのときに、切梁の上を歩いただけで腰が抜けそうでしたわ。超高層の現場とか無理ですね。鳶さんはすごいわ。真似できん。


【画像】 太宰府天満宮のスタバが物凄いことになってる
ちょい古いニュース。私はこういうのが全然かっこいいとも思わないし、技術的に優れているとは思えないところがこの業界向いてないんだろうなぁ。スタバにしては、壁紙とか什器がえらい貧乏くさいけど良いのかな。結局『ワタシ、お洒落してる!』というスイーツ向けなんだろうなぁ。にわか向けのパチモンだと思っています。
一般向けではボロカスでしょうけど、建築家の内輪向けではこんな反応でしょう。

53. Posted by やむ 2012年05月20日 20:39
世界的建築家に対してよくボロカス言えるな、ドリームハウスとは格が違うんだけど
それより新しく出来たユニクロ銀座店が普通すぎてひどい、みたいな記事出してみろよ

58. Posted by   2012年05月20日 20:42
建築家は絵描きとかと違って思い浮かんでもなかなか実行できないからな
進んで創意の礎となったスタバには敬意を表する
いかないけど

この辺のコメントは、有名大学の建築学科卒業の人でしょうね。デザイン(笑)。
世界観が新建築しかない人が本当に増えてます。どうせロクな仕事をしないのだから、若い人は1年間かけて日本国内の明治・大正・昭和・平成の建物をたくさん見たほうが後のためだと思うわ。

スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店
ttp://kkaa.co.jp/works/starbucks-coffee-at-dazaifutenmangu-omotesando/

6cm角の断面寸法を持つ、長さ1.3〜4mのスティック状の部材2000本を織りあげることでこの構築物が出来上がった。スティックの総長は4.4kmに及んだ。スティック状部材を織り上げる手法は、CHIDORI、GC等のプロジェクトで試みたが、今回はダイアゴナルに織り上げていく方法を試み、空間に方向性、流動性を導入しようと試みた。CHIDORI, GCでは3つのスティックが点で交わるが、ダイアゴナルに組むことで、4つのステップが一点で交わるという難易度の高いジョイントが必要になった。部材の支点をわずかにずらすことで、4部材が一点でまじわることをさけ、2部材ずつを接合することで、この難問を解決した。

屋根を支える細かい構造部材を下から見上げる方法は、かつての中国建築、日本建築で高度な発展をとげたが、今回はこの方法を、現代の最先端の構造技術を組み合わせることで、人々を奥へと引き込む。流動性の高い、洞窟上の空間を作ることができた。

おい、なんかアレが構造要素らしいぞ。まぁ、勝手すにればいいけど。
写真で見ると、仕口は組木かもしれんが、継ぎ手がプレート割り込んでボルト止めなんだけど。こんな安易な解決で満足なんだろうか?そもそも、日本の木造建築ではこんな小さな部材を継ぐようなディテールは存在しないはずで、そもそものコンセプトが大間違いだと思うんだが。ま、気にしていないだけだろうけど。

木造の継手と仕口

木造の継手と仕口


これは個人的な妄想や思い込みが入っていますが。
近代における建築の究極とするところは、宗教的な空間だったと思います。ロンシャンの教会しかり、東京カテドラルしかり。また、大阪万博のお祭り広場も祝祭空間を志向しており、これも一種の宗教空間に分類されます。そもそも近代建築は西洋の文化を借用しているので、宗教が生活の中心にあり、人が集合する教会というものが根底にありました。これは日本では、明治時代までなかった概念だと思います。
それと同時に普遍性の追求こそがモダニズムという流れの中でありました。また、公共建築というものもこの流れの中でしょう。優れたモダニストは優れた公共建築を残しています。
で、現代。宗教的な空間とか普遍性の追求ではなく、特殊解への流れがその反動で出てきます。これは、地域固有の特殊解ではなく、クライアントという個人の欲望による特殊解であり、まったく公共性とは相容れない思想です。たぶん、コールハースの言う商業性とか資本主義というものをかいつまんで言うと、こういうことだと思ってます。この流れは流れで、そういうもんかもしれんね、程度に思っていますが、気がかりなのはモダニズムの総括がないことです。なんか、普遍性の追求を頑張っていたのに、いまや特殊解のみを追求している建築家は、ある日突然世界観が変わっていることに違和感を覚えないのでしょうか?私はとっても違和感があるのですが。
これも、私が得意とする逆張りですけど、今の建築家は10年後には絶対に生き残っていません。ついでにそれについていっている構造家(笑)も。個人的な好みもありますが、商業的な特殊解ではなく、抽象的な空間の方にシフトしていくのではないかと思っています。相変わらず、若い人の中ではコールハースがヒーローみたいですが、アレを否定して乗り越えないと、次の時代では生きていけないのになぁ。そもそも、昔から建築家なんてインテリで反体制なんだから、資本家の言うことなんて聞いてちゃだめでしょうに。今の建築家なんて、タダの御用学者みたいなもんですよ。『建築主がこれでいいって言ってるんです!だからいいんです!』とか。お前、魂売ってるじゃねぇか、と苦々しく思います。
今の建築業界では、私のような思想は超異端視されてますが、そのうち変わっていくと読んでます。
ついでに、2000年代の建築は、将来の建築の教科書には登場しないでしょう。何の普遍性もないし、貧乏くさいのが多いしで。今って、かなりの暗黒時代だと思う。それに伴って技術の伝承なんてまったく行われていないし。大丈夫なんかね。


新建築増刊 菊竹清訓 2012年 05月号 [雑誌]

新建築増刊 菊竹清訓 2012年 05月号 [雑誌]


菊竹氏の追悼号。安いので買うべし。