日本経営新聞


リチャート・クーの無駄遣い。
誰か司会を黙らせろ。まったく話を理解してないぞ。

バランスシート不況理論の説明で、司会が『守りに入ってしまうんですね』とか言ってますが、まったくわかってないわ。企業が貯蓄に走るのは、お金を寝かしておいて眺めているだけで貨幣価値が上がっていく世の中なので、一番手堅く利益が出る事業なんです。
で、これが普通の資本主義社会ではないからマズイというお話なんだが。。。。。
日経って、日本経済新聞という正式名称らしいですが、やっぱり日本経営新聞に名前を変えたほうが良いと思うなぁ。ドメインの変更なしでOKでしょ。




この人って、ちょっと昔は円高論者で袋たたきにされたり、碇ゲンドウのコスプレして選挙に出たりしてたけど、成長したな〜。
入札のダンピングの話が出てましたけど、先日の都営住宅(200戸クラスくらい)の基本設計料の落札価格は1円でした。2番が100円で、3番が1000円。大体こういう世界になってます。
ベクテルの話も出てましたが、ちょろっと高速道路とか空港やってさっさとアメリカに帰りましたね。2000年の建築基準法の改正は、日米構造協議の結果によって法律まで変えてやったのに、仕事しないで帰るとはなんと無責任な。この改正は、性能設計の幕開けだ!とか盛り上がってたような気がしますが、誰も使ってませんね。いまだに、日本は仕様規定が多いので技術的に遅れていると思っている若い人が居ますが、10年たっても根付かなかった理由を考える時期にあると思っています。若い人に言わせれば、性能設計が根付かない日本が遅れていると言うのでしょうがw
ちなみに、ベクテルは世界最大の建設コングロマリットですが、私企業です。競争が大事とか寝言は寝て言え。
今思うと、あの手の基準法の改正がTPPの後にやってくるんだなぁ。社会制度を変えて、産業にもぐりこむというのはTPPまんまだな。


経済論理の濫用による政策論議の歪みについて
─ 財政政策と国債問題を中心として ─
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/resilience/material/pdf/2012_07_09/aoki.pdf
ちょっとしたペーパーですが、なかなか興味深い。

経済学説の二大潮流としては、現実分析に重きを置くケインズ経済学と論理的厳密性
を追求する新古典派経済学及びそれに連なる諸学説がある。前者は「需要側(重視)の
経済学」、後者は「供給側(重視)の経済学」と通常呼ばれている。両者の相違は、所
得決定に際して需要側と供給側のどちらを主因と考えるかにある。このことは、例えば
ハンバーガー店で働いている人に、「あなたの所得はハンバーガーを買ってくれる人が
いるから得られるのですか、それともあなたがハンバーガーを作っているから得られる
のですか」と問うている状況を考えれば容易に理解できよう。前者の立場が需要重視で
あり、後者のそれが供給重視である。無論、一つ仮定を付け加えれば両者の立場は一致
する。

経済学は多様なる経済諸学説の集合体であり、諸学説にはそれぞれの学問的守備範囲
がある。現実分析に向く学説もあれば、論理的厳密性を追求するのに向く学説もある。
前者の代表が需要側の経済学であり、後者のそれが供給側の経済学である**。とすれば、
現実の経済問題を論議するときのベースは、需要側の経済学であろうことは素人目にも
容易に推察できる。しかし、驚くべきことに現実は逆なのである。

中野・三橋あたりについてのバッシングは必ずといって良いほど、
『あいつらは経済学がわかっていない』
のパターンなのですが、数学理論=経済だと思っている人が非常に多いですね。実際は、経済政策を策定するに当たり数々の妥協や調整が入るのですが、経済学を理解している人に言わせると、『理論どおりでない現実のほうがおかしい』という理屈みたいです。いくつか経済学の本を読みましたけど、科学よりも工学のほうが似合ってます。金融工学という分野もありますが、どこが工学やねんと思いますけど。
この風潮は建築の世界にもあって、数学や力学を使うことが構造設計という馬鹿げた風潮があります。あんなもんは、ただのツールに過ぎないのに、最適断面やらなんやらをいきなり実施設計の世界に持ち込む馬鹿どもが多くて困ります。研究としてはまったく問題ないんですけどねぇ。
以前、JSCAの講演会で某構造家(笑)の話で、『この形態を実現するために構造力学を用います(キリッ』とか話し出して噴出した記憶がありますが、それを思い出しました。聴衆は目を輝やかせていて、だめだこりゃと思ったもんです。
まぁ、これも世間の風潮というやつですかね。