核兵器の行使について。

世間が右傾化しているらしいので、日本でも核兵器を持つべきという話がチラホラ出ています。私は建築構造が専門であって、核兵器は専門ではないのですが、素人目から見てちょっと意見。
現在、核兵器の所持数は相互確証破壊の理論を元に決められています。相互確証破壊の理屈は、『1発撃ったら打ち合いになるから撃たないでおこうね!』というものです。放射能の汚染によって地球が終了するという前提に立っています。
が、東日本大震災原発事故の経過が明らかになるにつれて、世界の危ない独裁者の頭の中には『放射能汚染ってこんな程度か』という発想が芽生えているのではないでしょうか。現代の核兵器の運用は、戦略的な運用であって、戦術的に運用することはありえません。が、意外と放射能の被害がたいしたことはないので、戦術的な運用を考えている危ないテクノクラートは世界に必ずいます。戦術的に用いる以上、そこそこの精度のミサイルでとりあえず臨界すればいいので、核兵器の技術的な開発水準はだいぶ下がります。ウランの純度をそんなに高めなくてもいけますし。プルトニウム型の場合は、爆縮レンズの設計が肝になるので、ゼロからの開発はなかなか難しいでしょう。解析自体は簡単でしょうが、境界条件を決めるのに膨大なノウハウが必要になります。

と、実は相互確証破壊の理論の土台そのものに問題があるのではないでしょうか?そもそも、この理論の出所はアメリカのランド研究所です。ここから出た経済理論に従って金融は大爆発しました。核戦略の理論がとんでもない大間違いではない保証はどこにもありません。
これは別にランド研究所発の理論が未熟であるという意味ではありません。彼らのそもそもの発想は『あらゆる問題は解決可能だから、合理主義に徹していれば問題解決法が必ず見つかる』というものです。科学者としては非常に正しい思想で、非の打ち所はありません。が、世間には時間がなんとなく解決してくれる問題もありますし、合理的とする判断基準は人それぞれ、国それぞれです。『合理的である』というのもひとつの解決策であることは否定しませんが、本当にそれだけでいいの?というところに政策判断は進むべきでしょう。


あ、私は別に危ないテロ屋さんではないですよ。
AKIRAの舞台が2020年の東京オリンピックだったので、新型兵器行使を思い出しただけです。