コンクリートのお話

なぜ壊れない? 古代コンクリートの謎がまたひとつ解明
だそうです。日本語訳が変なのか、目新しいところはないような?
最近だと、ピラミッドのジオポリマー説が出てたりするので面白いです。確かに、あんなどでかい石を切り出して運ぶよりはサイトPca化して構築したという方が説得力あるよなぁ。

近代建築はポルトランドセメントを使用していますが、その強度はピンキリです。築80年でFc30(N/mm2)程度出ているのもあれば、築40年くらいなのにFc13.5(N/mm2)を下回るやつまで。高度経済成長期の建物は、セメント不足なので結構強度低いですね。むしろ日本で言うと大正・昭和初期のコンクリートは、当時の技術屋のトップガンが面倒を見ていたので強度は高いです。

年始に見てきた長崎の針生送信所が重要文化財になってました。今年の3月かな。
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設の見学について
私が行ったときは、海保の敷地のやつじゃなくて、人んちのみかん畑に立ってるやつですね。
建築の構造やってる人間ならわかりますが、この時代に130mのRC現場打RCって驚異の根性です。大正時代の技術屋は超人か?現在でも130m越えの超高層RC構造物って、超高層マンションの一部くらいで、この領域のRCを設計しているのは日本でもものすごく限られますね。
この送信塔の設計者がかの有名な真島健三郎氏とは知りませんでした。建築構造の剛柔論争の柔構造を提案した偉い海軍の人です。つか、佐野利器は超高層を設計してませんが、真島健三郎は自分で超高層の塔を設計していたからそりゃ柔構造論者になるのも分かりますわ。
長崎の軍艦島もいいですが、この送信塔も圧倒的な存在感は見る価値があります。
解体されちゃいましたが、原町無線塔もヤバイ。1921年竣工で200mのRCの塔です。どうやって打設したんだろ。
憶・原町無線塔
http://www.geocities.jp/haramachi_tower/kensethu.html

日本の構造技術を変えた建築100選―戦後50余年の軌跡

日本の構造技術を変えた建築100選―戦後50余年の軌跡


高度経済成長期のバケモノ建築とか土木事業も相当ヤバイというか、真似できない野蛮な物件も多数ありますが、戦前の技術もどっかでまとめて出版して欲しいものです。大体、旧日本軍の施設はそれなりに今でも使ってますし。有名なのが軍人会館だし、取り壊していますが国立新美術館の敷地はもともと歩兵第3連隊兵舎で東大の生研でしたしね。
海外でも、第2次世界大戦当時の建物はたくさん使ってますわ。テラーニの建物とかかっこいいと思うし、現代でも十分通用してます。あとはナチス時代のRC建築なんてゴロゴロ周辺国家に転がってるんじゃないの?その辺の取り扱いはどーなってるんでしょうね。

掩体壕
城井掩体壕群
鉄筋コンクリートのシェルですね。きれいに出来てます。
某古墳の保存をするためにシェルの基本設計をしましたが、似たようなモンですな。

この辺のお話はただの技術史と言えばそうなのですが、今現在自分たちがやっていることが何なのかを確かめるためには有用な知識となると思っています。大体、RC規準なんて昭和8年の初版から基本的な内容はほとんど変わってないんですよ。柱の最低鉄筋量0.8%とか、あの付着の絵とかね。
http://news-sv.aij.or.jp/da1/shiyoukijyun/kouzou.html