天皇とフィクション

映画『終戦のエンペラー』主人公は“教科書に載らない”実在の人物
劇場まで見に行くつもりはないので、ソフト化待ち。
この作品について、日本の映画評論家やレビュワーが最初に触れなければならないのは、日本で封切られるメジャー映画で初めて天皇陛下が演じられているということです。過去、数多くの映画作品が封切られましたが、メジャー映画の銀幕の中で天皇陛下が歩いているシーンは一切なかったはずです。
まずは、この前提条件の上で紹介しなければならんはずなんですが、どうしたものかその手のレビューに引っかかりません。おいおい、しっかりしてくれよ・・・・。


夭逝したSF作家伊藤計劃氏の映画批評集の最後に、渡辺文樹の『腹腹時計』が触れられています。
web上の魚拓とか探せなかったので、興味のある方は是非。

今、目の前のスクリーンの中を信じられない人物が歩いている。テレビや記録映画の中で、その「人」を我々は何度も見てきた。でも、フィクションの世界でその「人」を演じた人間はおそらく一人もいないであろう。でも、今、その人物が目の前を歩いていらっしゃるのである。畏れ多くも、あの、やんごとなきお方その人が。

この文章を読むまで、特に意識したことがなかったのですが、言われてみれば確かにそうです。逆に今回の終戦のエンペラーの製作陣からすると、『なんでこんな大物をとりあげないのか!?』と舌なめずりしたことでしょう。まさに空気の問題です。
別にわざわざその空気を打破する必要はないと思いますが、あまりにも思考がストップしている中に打ちこまれたこの作品をどう見るか?

と、色々と取扱いに厄介な天皇というもの。フィクションに出すのが難しいのは、日本特有の空気の問題もありますが、実はそれを象徴する建物や図形が存在しないというのも、フィクションに出しにくいのです。マブラヴオルタやシャングリ・ラでも、未来や平行世界における天皇家が出てきたと思いますが、あれは『帝』の血筋によるものを取り上げているのでちょっと違うなぁ。
例えば、ゴジラに皇居を踏みつぶさせようとしても、『皇居を表す特徴的な巨大建築』が存在しないので、エンタメとして取り扱うのはかなり難しいですね。
まぁ、2次元オタの世界では『帝』の世界までは踏み込んで取り扱っているんですが、世の中の文化人の皆さんはなにしてんの?あ!ほにゃらら党みたいに天皇制を認めてないのかー(棒

天皇制で、私が中学生の頃に滅茶苦茶不思議に思っていたことを祖母に聞いたことがあります。聞いたのはただ一つ。『現人神である昭和天皇がある日突然人間になっちゃってどう思ったか?』です。当然、歴史の教科書で玉音放送を聞いて泣き崩れる人や、特高警察云々とか御真影とか読んでましたからね。で、その答えが『あっそう』でしたwwwwちゃんと戦中は竹槍持って鬼畜米英していたのに、『あっそう』である。私はこの祖母の答えを聞いて、ひどく納得したことをよく覚えています。そりゃ、普通の脳みそ持ってりゃ『ま、お上がなんか言うとるから御真影の掃除でもするか』というのが大多数の考えになるわな。もちろん、ややこしい方々の前ではそんなことはおくびにも出さないのが大人というものです。
山本七平氏が言っていたと思いますが、「『戦前の日本人が神話を事実と信じていた』という"神話"を戦後の日本人は信じている」というのが、最大の戦後レジュームと言われるものかもしれませんね。1945年を境に断絶があるかないか?世間の文化人の皆さんは、断絶があるというし、私はそうではないと思っています。だって、じーさんばーさんは戦前生まれだし。
建築の世界でも、完全に断絶していることになっていますけど、あれは大嘘ですね。RC規準なんて80年前からなんもかわってねーもん。断絶したのは、海軍系のインフラ技術かな。これは完全に消えたと言えます。