読了めも

また溜まった。

現代建築をつくる人々―設計組織ルポ (1963年)

現代建築をつくる人々―設計組織ルポ (1963年)

50年前の設計組織のルポタージュ。
現在の建築家と言われたい人々の体たらくを見ていると、何も変わっていない模様です。雑誌に出るのは日建設計と設計施工ばかり。ある意味ゼネコン設計部が一番建築設計組織として完成されているのではないかと思います。
現在私は自称建築家と言う方々とお仕事をしていますが、彼らの世界の狭さにうんざりすることしかりです。これは大学のヘボ教育も悪いのでしょうが、設計というのもがなにやら限られた人間にしか行うことができない崇高な行為であるという思い込みが蔓延しています。そんなことでは、各種の改善は一切行われないでしょうし、クオリティの高い建物などできないでしょう。経済原理に動かされるゼネコンやハウスメーカの設計の方が良いものになっているというのがその証左。
この手の差別的イデオロギというのは、マルクス史観の影響かねぇと白い目で見る今日この頃。
一人では何もできないことにお子様建築家連中が気が付くのはいつでしょうか?
古い著作とはいえ、建築設計分野における働き方を考えさせられる名著であることは確かです。
リーマンショックの裏で中央銀行総裁が絶大な権力をふるって頑張っていたよというルポ。ECBのトリシェなんて緊縮馬鹿だと思っていましたが、それ以上のブンデスバンクというシバキ上げ原理主義者が緩和策をいちいち滅茶苦茶にしたとか、各種の政治的状況で美しい金融理論が台無しにされたなどなど。
本書で気になったのがECB総裁が自分のことをヨーロッパ人だと思って政策を練り上げていることです。普通はヨーロッパ人以前に、自国の国民であるという思いが先に来そうなものなのですが、この手のコスモポリタン幻想が根本にあるというのが、現在のユーロ圏のゴタゴタを引き起こしているように思えてなりません。実際にユーロ圏で、自分のことを何人と思うか聞いてみたらいかがでしょうか?おそらくエリートはヨーロッパ人と答え、非エリートは自国民であるというのではないでしょうかね。
ある意味、間違ったエリート感が国の政策を捻じ曲げて破滅に導こうとしている証拠がたっぷりと詰まっている本書。なかなかに興味深い。
紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)

紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)

1930年代後半から終戦まで日本は貧困で最悪だったとの思い込みがありますが、GDPやらを見るとそうでもない。特に旅行という眼鏡を通せば、最高潮は1940年に来ていたというお話。
観光地として有望なのは、建国神話の高天原とかで、各地に『わが県こそ高天原なり!』みたいな誘致合戦があったとのこと。本書では、これが世間を覆う軍国主義ナショナリズムの発露として見てるんだけどそうかな?私はむしろ、どんなネタにも飛びついて誘致しようとする地元民のとてつもないしたたかさの方かと思います。昨今の自治体ゆるキャラブームと根っこは同じでしょ。『おらが町に○○を!』○○には、企業名・自衛隊基地・原発高天原etc何でもOKさ!
皇紀2600年行事で皇居の前に建てられた仮設建築・光華殿が東京たてもの園に移築されています。靖国神社でデモされている、反軍国主義を唱える人々はたてもの園のビジターセンタに終結すべきだよなぁ。こっちはちゃんとその当時の政府によって建てられたものだから、主張の筋は通るはず。
少女型シムシティ
おおざっぱではありますが、近代国家形成を早足で解説してくれます。
この手の話は歴史や政治経済の授業で習わないので、駆け足で見るにはちょうど良いですね。