盛岡も暑かった
修理保存の委員会の前乗りで盛岡へ。
委員会の先生と夜の部をご一緒しました。なんか12時くらいまで飲んでた気がします。
名刺交換の時に、先方の先生が『僕はコンクリートの強度とか漆喰・煉瓦の強度で興奮します!!』とか言ってて変なのがいるなぁと、他人事のように思っていましたが、よくよく聞いてみると大学と大学院の先輩でした・・・・。そして、よーく聞くと知りあいの知りあいという。えぇ。工学院大学の某先生です。よりにもよって岐阜の高校出身というレアさ加減で、盛岡の宴会で岐阜の話をするという。
世間的に名古屋大学の建築学科出身って、かなりレア度が高いので偶然会うことは滅多にないのですが、これで盛岡のプロジェクトで4人目ですね(遠い目。
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冒頭の写真は屋根飾り。
そこはかとなくラーメン架構の仕口に見えますが気のせいでしょう。
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宴会の時に、何かの流れで京大の構造の先生の系譜になりました。
・棚橋諒先生
これは、文句なく自由な発想をする天才。だけど、京都タワーの設計を見ての通りかなり過激です。
・その弟子の金多潔先生。
棚橋先生のフリーダムさを見て育ったのか、結構保守的(らしい)
・その弟子の現在50代の方々
金多先生の下で、フリーダムに育ってしまって危険人物のオンパレード(らしい)
分かる。分かり過ぎる。滅茶苦茶納得しました。
・そのまた弟子の現在30代前半の方々
フリーダムな面々を反面教師に、かなり頭が固くて保守的。
ちなみに私は前の会社が京大ばっかだったので、この辺にカテゴライズされます。が、文化庁に説明に行ったときはその融通の利かなさにビビりました。
こうやって見ると、私は学校は東大閥で、設計を始めてからは京大閥の影響を大きく受けています。あとは戦前の海軍閥を勉強したら、究極の中途半端構造屋が誕生するで。
構造の世界で、何とか閥とかあるんかいなと思われがちですが、結構あります。地震の上下動の伝達経路は西と東で考え方が違ったし、動的相互作用で出てくる何かしらも違いました。今は学会で統一されてるかもね~。
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大体データシートしか見ませんが、先輩か後輩か知りあいか何かしらは必ずいます。ということはとっても狭い世界の建築なんだなぁと思います。