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地名の話 続き


広島災害の教訓―変わる地名、消える危険サイン | THE PAGE(ザ・ページ)
ようやく続報的なものが出ました。

また、昭和40年代までは「上楽地」という地名が古地図にも残っていて、「蛇落地」が転じたと考えられるというのです。

「前住職はこの土地の開発の歴史を伝えようとしていました。ただ、今回のような大きな災害と結びつけていたわけではないようです。『悪谷』という地名までは書かれていません」と現住職の妻の桐原伊織さん。

広島市郷土資料館に問い合わせると、「蛇落地」や「悪谷」を記す文献などはないと言われました。番組放送後、多くの問い合わせを受けたという安佐南区役所地域起こし推進課も、広島市に合併する前の佐東町史などを調べましたが、そうした記載は見つからないとのこと。

これ、役所の怠慢でも何でもなくて、ただ単に研究が進んでいないから実証的に昔の地名がどうだったかを特定できていないだけです。明治の時点で八木村だったというのは前述のとおり。

広島豪雨災害:「八木蛇落地」の地名が変更されたのは江戸時代以前では - 顧歩日記
やはり、この件について違和感をもって調べた方がいらっしゃいました。

しかし、仮に先人が警告のため「蛇落地」という地名を名付けていたとしても、江戸時代の人々はすでにそれを香川勝雄の故事に結び付け、さらに「上楽地」という地名に変えてしまったのだ。「地名は警告する」という訴えの趣旨はよくわかるし、意義深いことであると思う(そしてそういう考察は私は大好きだ)けれど、我々から見ればいにしえの人から見てすら理解できなかった警告を、今の時代に生きる我々が(一般の人が)どうして理解することができるだろう。
少なくとも、それを無視したといって、批判されるいわれはない。ネットにはそんな批判が間々見られる。

地名の昔ばなしの件は、文字から簡単に連想できるため一般の方の啓蒙には良いのかもしれません。ただし、そのとっつきよさと歴史事実は学術的な検証によって1対1に対応させることが重要であり、今回の件のように検証が全くなされていない地名をもとに、行政や住民を責めるのは大きな間違いだと思います。


と、日建設計の設計者の方は憤っておられますが大きな間違いです。このように、分かりやすいストーリーは私憤を義憤に容易にすり替えることから、取扱いに非常に注意する必要があると常々感じています。
肝心の日建設計は、梅田(埋田)近くの中之島という川の中州で、ズブズブの地盤に80mの杭を打って中間階免震超高層を設計したんだけど、まさに土地の地名を無視して臭いものに蓋をした設計かと思われるのですが、どうお考えなのかさっぱり分かりません。むしろ、地盤が悪いなりに徹底的に技術によって精査を行い、昔はできなかったことをやりましたというのが会社に帰属するものとして言うべきことかと思います。

当然、この手の報道を真に受けて昔の地名を復活すべきだ!とかいう人たちがたくさん現れました。確かに古い地名で災害を受け継ぐところもあるでしょう。ただし、地名を変えた理由に部落関係が多かったというのをすっかり忘れていませんか?この手の同和行政・部落との関係により、とんでもない行政コストを支払った過去の方が心配になってきます。寝た子を起こす度胸は、少なくとも私にはありません。

古い地名を付けた当時は、鉄もコンクリートもありませんでした。その上、地域の支配者は連綿と公共事業をやりまくって土地の形を変え続けてきました。当然、それらの技術やたゆまぬ行政努力により克服された災害も多かったことでしょう。地名にのみ着目して危険度を判定するというのは、とても容易なことではあるのですが、その一方で克服された危機を無駄に恐れることにつながりかねないし、そんな恐れはリスクにあたいしないと思うのです。

とまぁ、今回あれこれ思ったのはネタ元がとくダネだからです。コメンテータの方がしたり顔で古い地名に込められた理由とやらを言っていたらしく、『いやいや、地名以前にあんたらのスタジオのあるお台場は昔海じゃん!地面ないじゃん!!』と思ったのが端緒なのは内緒だw