シェル・シャーレン構造をたどる

日本におけるシェル(シャーレン)構造の入植ははっきりしていて、1937年の坂静雄著「鉄筋コンクリート平面および曲面の構造」で解説されたのが初めてになります。世界的には、ドイツにおいて1928年Zeiss Dywidag工法が解説され、1926年にプラネタリウムが建設されたものが初めてとされています。
Zeiss Planetarium (Jena, 1926) | Structurae
なので大体10年遅れくらいですね。
日本国内においては、その後すぐに太平洋戦争に入っていることから民間建物に適用されることはなかったというのは先日触れたとおり。ただし、「建築学の概観(1941~1945)」によれば、スパン15m程度の無筋コンクリートシェルの実施設計を行ったとのこと。航空技術研究所において載荷実験・耐弾実験を行ったとの記載があります。これ、掩体壕ですよね。残念ながら参考文献が書かれていないので1次資料には当たれませんでした。その他には、木造シェルまで格納庫として施工されたとのことですが、これも1次資料の参照はありませんでした。
戦中の動きとして変わり種は、前述の坂静雄氏の本が満州建築雑誌 第18巻 第3号にて紹介されています。中身としては、ぶっちゃけ難解だけど頑張ろう的なことが書いてあります。満州と言えば、一旗揚げにお調子者が山ほど行ったところです。当然、技術官僚も多く含まれていることから、何かしら実験的な建物を作ってそうなんだけど、どなたか調べた方はいますかね。植民地建築と言えば、名古屋大の西澤先生なんだけど、多分技術官僚までは追いかけていないだろうし。
上述のルートと、先日触れたコンクリート船のルートでもシェル構造を研究しています。
http://www.lares.dti.ne.jp/~obsidian/ysy/gihou/cons01.html

世界最強の海上陸軍である日本陸軍もまた、 コンクリート船の建造を計画していました。
満州で川南豊作氏の関与の下に2000総トン型の建造工事を行っていたものの 成否については不明、とされています。

と書かれていますが、まさに川南工業にてコンクリート船を設計していたのが満州→日大の加藤渉氏になります。これは近江栄著「建築への誘い」にて触れられています。さすがに戦時中のコンクリート船を調べてて、建築の入門書は読まんわな。
この流れで、小野薫氏とともに鶴見倉庫のシェル建造を行います。
コンクリート船と言えば忘れてはいけないのが、東大地震研の末広恭二氏です。強震計の開発者として有名ですが、もともとは造船技師で1919年にコンクリート船を設計しています。
第13話 日本人の創造性 | FEMINGWAY

末広恭二は高校時代、父親を亡くし、一時、三菱の岩崎家に寄食していたことが寺田の文にあります。その関係で三菱造船所と縁を持つところとなり、しばらくは造船工学を母体にして応用力学、振動工学を専門とするようになります。この時代、興味深いことにその当時でも珍しいコンクリート製の船舶を設計しています。後年、地震学に進んだのは、船舶関係の振動を研究していたことから来ているのは想像に難くありません。

建築構造学事始 | 地震工学の創始者:末広恭二のこと
上記サイトはいつも参考にしていますが、例の柔剛論争における末広氏のスタンスについて述べています。

CiNii 論文 -  初期の鉄筋コンクリート構造
上記は、藤森昭信氏が坂静雄氏に聞き取りをしたものです。戦時中の木造シェルに触れるなど、なかなか面白いのですが、藤森氏の最後の方の質問。

戦前に柔剛論争というものがありましたね。あの時真島健三郎氏が柔構造で、東京だと内藤先生、佐野先生のお弟子さんたちが剛構造で行く。東京でも小野薫先生は柔構造的な考えを持っておられて、京都の先生方も柔構造的な考えを持っておられたと聞いているのですが、いかがだったんでしょうか?

この話は初めて聞きました。ソースが藤森氏なので、結構怪しい気配がしますが、実際はどうだったんでしょう。小野薫氏はたわみ角法をバリバリやってたけど。。。。。
藤森氏の記憶が確かだとすると、柔剛論争って、正統派ラーメン屋vs計算お化けのシェル屋でもあったんだよなぁ。そしてこの構図は今でもずっと続いているので、柔剛論争は終わっていないんですよね。

と、シェルを調べてみたのは、シュペーアゲルマニア計画のドームが異常なでかさで、当時実現可能だったかを知りたかったのです。
世界首都ゲルマニア - Wikipedia
球殻シェルではないみたいなんだけど、技術的裏付けはどうなっていたんでしょうかね。塔頂300mはちょっとやそっとではできません。ゲルマニア計画と言えば、都市計画分野の人が多く研究しているけど、当時のドイツのシェル技術で可能かどうかの検証を見た覚えがないです。
満州の建築にせよ、ゲルマニウム計画にせよ、技術官僚や大学教授が多くの協力をしたのは確かであり、それらの成果を発掘した方が後の世のためになるかと思います。まぁ、戦争責任云々と面倒なことを言う御仁が湧いてくるのが目に見えるので、アンタッチャブルですな。

東京大学第二工学部の光芒: 現代高等教育への示唆

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この当たりの本が面白かったので、ヒーローではない技術者についても誰かまとめて欲しいものです。