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建築構造の京都シューレ

「建築論」の京都学派―森田慶一と増田友也を中心として (近代文藝社新書)

「建築論」の京都学派―森田慶一と増田友也を中心として (近代文藝社新書)

ウィトルウィウスが何たらとかは興味ないんだけど、京都学派というくくりで建築を見直すというのもありなんだなと思わされた著書。
現代においては京大の建築と言ってもぱっと何も出てこないので、60年前の話で。
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京大の横尾義貫先生の『力感論』にまつわる考えが掲載されています。退職時の記念誌から振り返ってみても、1955年の段階というのはかなり初期の論考かと思いますが、本誌にまとまっている内容と大きく変わっていません。
欧米の組積造に関する感覚と、日本の柱梁文化に関する直感的考察として。

欧米人は重い石を取り扱っていますから、力に対する感じは鋭いと思うんです。日本人は軽い木を使っていたから三尺・六尺ですからせせこましい。ぼくらはこれをサブロク文化と称するんですがね。これには力感なんてないんです。日本人はせっかくの軸組の伝統を持ちながら、力感がにぶいという恐れがないかと思うんですが・・・・。

ポテンシャルエネルギの大小ですね。建築構造における3大ジャンルは、
1.横にだだっ広いやつ
2.縦に長いやつ
3.変な奴
なんだけど、2.が一番重心点と地表とが離れているため、横尾先生の言う力感が必要とされると思います。問題は、縦に長いやつというのはそのまま時の支配者層の建築そのものであるため、別の意味での力も感じ取れなければなりません。
ついでに、宇部の渡辺翁記念館についての構造的コメントが。彼以外でこのアプローチで論評した人を見たことがない。

とにかく構造感、力感は優れた人は持っているようですよ。何も構造力学的真理がいいというわけではないけれども、多少の幅があって、偏れば余剰感があるんです。村野先生の若干の作品はそんな気がするのでsが・・・・。宇部の公会堂なんかメーソンリー的な仕上げですけれども、メーソンリー的な力が働いている感じはあまりしない。どちかというと、力感的には余剰感であるが、かえって美しい劇的なものが感じられる。

興味深い論評です。この特集って1955年だから、まだ現代建築がそんなに立っていない頃の話なんですが、恐ろしく的を射た議論になっています。
あと、横尾先生はギーディオンまで読んだはるわ。えらい!

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大阪の構造勉強会のお題。たくさん人が集まったそうな。
お、六車先生。
建築構造史というのはいろいろな方が研究されているので良いのですが、構造設計法の伝播などについてだれか調べて欲しいところです。これ、結構面白い研究テーマだと思うんだけどなぁ。

と、横尾先生の力感論の伝道者は竹中工務店の長瀬さんかな。OBだから当然とはいえ、去年だったかの建築技術のエッセイ連載などで力感論に基づいた議論をされていてオススメ。ってかはよまとめて書籍化よろ。

今のナントカ大学の名誉教授とかのパッパラパーの老人の戯言よりも、昔の偉い先生の本読んだ方が精神衛生上良いよなと思う新年でしたとさ。